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並木麻輝子のお菓子な歳時記

第15回 逸話もおいしい端午の節句の伝統菓子

今回取り上げるのは「端午の節句」。日本でもおなじみだが、元をたどると中国発祥の行事。我が国では、毎年、現在の暦(グレゴリオ暦)の5月5日に行なわれるけれど、中国の端午節は「旧暦の」5月5日のため、日取りは毎年変わる。これは韓国やシンガポールをはじめ、この行事が存在する他のアジアの土地でも同様だ。

端午の節句も粽も中国から

中国の端午節に欠かせないのがドラゴンボートレース、そして粽(ちまき)。日本で端午の節句に粽を食べるようになったのも、中国の習慣がもとになっている。
そのルーツは今から約2300年前の楚(そ)の時代まで遡る。当時、国王の側近として仕え、詩人としても名を馳せた屈原(くつげん)という政治家がいた。彼は愛国心が強く国民にも慕われ、王の信頼も厚かったが、王の死後、陰謀によって失脚させられた上に国を追われ、失意のもと自ら川に飛び込んで命を絶ってしまった。その日が旧暦の5月5日だったという。
国民たちは屈原を探すため次々と船を出し、その遺体が魚に食べられないようにと太鼓を打ち鳴らし、水面をバシャバシャとたたいて魚を追い払ったり、エサとして大量の餅米を投げ入れたりした。これが今日のドラゴンボートレースや粽の起源といわれている。
その後も国民たちは屈原を偲び、命日の5月5日には毎年船を出して、供養のために川に餅米を投げ入れていた。が、いまいましいことに、毎回この供物を悪い龍が食べてしまう。するとある時屈原の霊が現れ、龍が嫌う楝樹(れんじゅ/和名はセンダン)の葉で餅米を包み、邪気を払う赤、白、黄、青、黒の五色の絹糸で縛るようにと告げたという。以降、中国ではこれを「粽子(中華粽)」と呼び、屈原の供養とともに厄除けの意味も込めて、毎年5月5日の端午節に作るようになったそう。この風習が日本に伝わり、五色の糸は魔除けとして、また子どもたちが元気に成長できるようにとの願いを込めて鯉のぼりの吹流しの色にも反映されている。

お菓子に込められた昔の人々の思い

日本では奈良時代頃から習慣化したというこの節句。粽も平安時代ごろには作られはじめ、宮中では端午の節句の際、厄除けとして用意されたそう。しかし当時はまだ甘みはついておらず、料理系の中華粽タイプだった。それが茶の湯の発達や砂糖の普及によって、江戸時代以降にめきめきと日本独自の進化を遂げ、餅米やうるち米を使った甘い餅菓子が誕生。現在は笹の葉で包むことが多いけれど、昔は茅(チガヤ)の葉を使っていたことから茅巻き→「粽」と呼ばれるようになった。形は定番の細長い円錐形のほか、地方によって俵型や三角形、またプレーンな餅から、中に餡を詰めたもの、葛やういろうの生地に風味をつけたものまで現在は種類も豊富だ。
ちなみに、マレーシアやシンガポールには、餅米を青い花びらから抽出したエキスで鮮やかなブルーに色づけたニョニャ粽、ベトナムにもドリアン入りの粽など、しょっぱいものから甘いものまで、アジア各地に多彩な粽が存在する。

端午の節句のもう一つの定番である柏餅は、粒餡やこし餡、味噌餡などの入った餅を柏の葉で包んだもので、こちらは江戸時代に江戸で生まれた生粋の日本産。柏の葉は新芽が育つまで古い葉が落ちないことから、「家系が途絶えない」=「子孫繁栄」の象徴とされ、とくに後継ぎが不可欠な武家社会を中心に、縁起のいい食べ物として広まった。

世界が新たな厄災に苦しむ今、今年は改めて世の中の安寧と人々の健康を心から祈りながら、端午の節句に粽を噛みしめたいと思う。

並木麻輝子(なみきまきこ)

料理ジャーナリスト ヨーロッパ郷土料理・菓子・食文化研究家
パリの料理学校ル・コルドン・ブルーの製菓・料理上級課程終了。ヨーロッパ各地の料理・菓子を舌で確認しながら自ら取材した経験を生かし、書籍、雑誌、ガイドブック等を執筆する傍、コメンテーター、大学の生涯学習クラスやカルチャースクール講師、テレビ、ラジオ番組制作コーディネーター、レストラン等のアドバイザー、講演など食関係のあらゆる分野で活躍中。

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